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平成22年2月14日(日曜日)        神様の視線でサイクリングを見てみたい方は、 こちら

天候      曇天 無風 肌寒

参加      5 名 

走行距離   約 110 Km 

最高高度   127 m

2010_02140002.JPG 集合です

 曇天の日曜日。予報では夕刻から雨の予報、日中は降らないとの事ですが。今日は5名の参加です。冬の間は、走って汗をかけるだけでも幸せ?
今日も元気にサイクリングです。
 
 
  
 

2010_02140005.JPG2010_02140011.JPG 和白までの道程

 福岡市中心部に向けての走り。信号の多さにうんざりです。程無くベイサイドプレイスへ到着。改装中のようです。ニューリアルするのでしょうか?ここからは福岡都市高速の下の道で3号線をバイパスして香椎まで。和白干潟を見ながら西鉄香椎線に沿って和白に至りました。 

2010_02140018.JPG2010_02140035.JPG 東郷公園と日本海海戦の碑

 昼食予定の「ひびき」の開店より早く着きそうです。何時も素通りしていた津屋崎を観光することに。津屋崎橋を渡り左折して病院の先を右折して大峰山を上ります。峠の頂が東郷神社で、この一帯が東郷公園(大峰山自然公園)です。

 東郷神社は日露戦争の行方を決めた日本海海戦で、日本の指揮を執った連合艦隊指令長官 東郷平八郎元帥を祭神とする神社です。東郷元帥は死後自分が神として祭られることを嫌がって、神社設立の計画を聞いて激怒、強く止めて欲しいと懇願したそうです。境内で販売されている勝守(かちまもり)にはZ旗が刺繍してあり、他には東郷ビール(オランダ製ビールに日本の会社が東郷のラペルを付けているプライベートビール)など東郷ゆかりのグッズなども販売されてます。 
 海戦のあった玄界灘を見下ろす山頂には日本海海戦時の連合艦隊旗艦 戦艦三笠の艦橋を模した日本海海戦紀念碑が建っています。東郷元帥の顔と有名な台詞「皇国興廢在此一戦各員一層奮勵努力皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ。)」の銅版が左右にペアで見ることができます。

 日本海海戦とは

MIKASAPAINTING.jpg 日露戦争中に日本とロシア帝国との間で戦われた海戦。日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍のバルチック艦隊との間で戦われ、ロシア艦隊は壊滅。日本側の損失は少なく海戦史上まれな一方的勝利。海戦での決定的勝利は和平交渉の糸口となり、ポーツマス講和会議への道を開くこととなりました。当時後進国と見られていた日本の勝利は世界を驚かせました。ロシア側の6,000名以上の捕虜は、艦の沈没により海に投げ出されましたが、日本軍の救助活動によって救命され、また日本海沿岸に流れ着いた者も各地の住民に保護されました。日本は戦時国際法遵守が徹底されていて、ロシア兵捕虜は十分な治療と食事を与えられ、健康を回復し帰国しました。日本の戦時国際法の遵守は世界各国から賞賛が寄せらました。(絵:連合艦隊旗艦三笠で指揮をとる東郷元帥) 

2010_02140043.JPG2010_02140055.JPG 津屋崎干潟とさつき松原

 休憩で体が冷えました。大峰山の下りは凍えました。渡の信号を左折して干潟に沿って走ります。対岸は塩田だったそうですが、今は水鳥の楽園です。見通しの良い快適な道です。495号線に合流し釣川の先から左折。さつき松原です。松林の間から浜と海が見渡せ、ご機嫌です。 

2010_02140059.JPG2010_02140070.JPG ひびき の魚料理
 
 鐘崎のアップダウンを越えると、右に大きくカーブします。玄界灘に別れを告げ響灘が見えてきます。少し走ると「国民宿舎ひびき」に到着です。こちらの5階展望レストランで待望の昼食です。食事をしながら響灘が一望できます。贅沢でしょ? 
 2010_02140067.JPG2010_02140068.JPG
 冬の玄界の味覚といえば・・・あらかぶの煮付け定食を頂きました。見た目は少しグロテスクですが。食べると・・・。骨以外は全て食べ尽くしてしまいました。見ての通りです ハイ。
  
 
 
 
 

2010_02140073.JPG2010_02140078.JPG 響灘と495号線
 
 響灘に沿って北九州方面へ。ここは北九州のローディの聖地?寒い風の中、何人ものサイクリストとすれ違いました。波津海岸の先から右折して495号線に合流、福岡方面へ。垂見峠の下りは、良いペースで下ります。右手に田園、さつき松原。見通しの良い気持ち良い道を駆け抜けます。 

2010_02140098.JPG2010_02140081.JPG 津屋崎千軒と藍の家 
 
 良いペースで戻ってきました。気になっていた津屋崎の町並み散策のため休憩です。海上交易と塩田により江戸時代から明治にかけて繁栄したこの地区の様子を「人家が千軒もある町」として津屋崎千軒と呼んでいます。民族館「藍の家」周辺は当時の活気ある港町の面影です。 
2010_02140091.JPG479db3b8.jpeg  藍の家は、明治に建てられた元紺屋(こんや)(藍染めを主とする染物屋)です。三越からの感謝状も展示されていました。三和土(たたき)の広い土間、無垢の桜の上框(あがりかまち)、博多東中竪町 彫刻師 近藤丑太郎の署名があるみごとな欄間。ボランティアの方から説明を受け、地元の苺とおいしいお茶を頂き、ありし日の豊な時の流れを感じました。
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1962/01/20
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福岡 博多で毎週サイクリングしています。
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