× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 平成22年2月21日(日曜日) 神様の視線でサイクリングを見てみたい方は、 こちら 天候 晴天 無風 参加 13 名 走行距離 約 52 Km 最高高度 343 m 集合です 久しぶりの晴天です。寒い冬の朝です。今日は13名の大所帯です。冬の一日、元気にサイクリングです。 水城跡 県道112号線(旧3号線)を南向けに進み九州自動道と交差する辺りに、大宰府を守るかのように、鬱蒼とした丘が続きます。水城跡です。 日本書紀によると、白村江の戦い※の後、天智天皇は、唐・新羅連合軍が博多湾から大宰府に攻め込むことに備えて水城を築かせたそうです。 ※西暦663年、日本は同盟国 百済に味方して朝鮮半島で唐・新羅連合軍と戦ったが大敗した。 四王寺山 大宰府天満宮の参道を左折して住宅街を上がっていくと四王寺山へと至ります。頂上からは、大宰府・筑紫野が一望でき、水城跡も確認することができます。四王寺山とは標高410mの大城山を中心に岩屋山・水瓶山・大原山の4つの山を総称してこのように呼んでいます。白村江の戦いの 翌年に大城山の山頂に大野城が設置され、平安時代にはこの場所に四天王を奉納して外敵撃退を祈願して寺が建立されました。この寺院は四王寺と称され、後にこの4つの山を四王寺山と称するようになりました。 宇美八幡の大楠 四王寺山の下りは、寒さに凍えるも、途中梅の開花など春の訪れを感じさせるものでした。 麓の宇美八幡に到着です。境内は樟の森で覆われてています。ここは応神天皇御降誕の地で、安産育児の信仰に篤く、多くの方が安産祈願や安産の御礼に参拝されています。 宇美八幡宮のシンボル。一本の楠木ですが、あまりの巨木故森と呼ばれています。樹令は推定二千年。博多の貝原好古の著「八幡本記」によると 神功皇后新羅より帰らせ給い香椎より巽の方蚊田の邑に御産舎を営ままれこもらせ給う、御側に生茂れる楠あり、其の下にて産湯をめさせ給う、其の大木繁茂し枝葉ことにうるわし、後人これを名付けて湯蓋の森という。また産衣を掛けたるを衣掛の森と云う。 井野山からの眺め 宇美八幡の見物も終えたところで、正面に見える井野山に上ります。神社の鳥居から一直線で井野山の入口です。頂上は遮るものが無い360°パノラマです。 北から望みます。 空港 その先に博多湾。 立花山 若杉山 ショウケ。 三郡山 先程の四王寺山 乙金山 小林酒造の萬代 井野山を下って小林酒造さんの酒工房「萬代」で休憩です。小林酒造さんは江戸時代の創業で、二代勝平さんが老亀によく似た形の奇石を手に入れ、これを機に「萬代」銘を用いることになったそうです。平成21年の品評会でも大賞を受賞されています。日本酒党の方、一度訪れては? 吉塚地蔵と商店街 ここが吉塚と呼ばれるようになった縁起の地蔵尊です。安土桃山時代、秀吉・毛利軍と戦って討ち死にした星野兄弟の霊を慰めるため建立されました。地蔵尊の横は小さな商店街です。ここを抜けて昼食のお店まであとわずかです。 てんぷらの だるま 揚げたての天ぷらを食べさせてくれるお店です。通は自家製の塩辛をごはんにのせ、お茶づけにして締めるそうです。このスタイルの天ぷら店の元祖的存在のこのお店、相当繁盛しています。店の外に信号機が設置してあり、その色で待ち時間が分かります。参りました。 PR |
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プロフィール
HN:
WEST
年齢:
62
誕生日:
1962/01/20
職業:
民間救急 介護タクシー
趣味:
ビール ギター
自己紹介:
福岡 博多で毎週サイクリングしています。
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